21歳はもう手遅れ?

「慶應なんだからそんなことないだろ」
「お前より酷い奴なんていくらでもいるよ」
そんな言葉は聞き飽きた。
自分をなだめるような慰めもいらない。
21年間、僕が求めてきたのはそんな言葉なんかじゃないんだ。
僕の人生の原動力は、同年代の中で目立つことだった。
誰かに認められたい、優位に立ちたい。
毎日承認欲求の薪を組んで燃やすの繰り返し。
“ムカつくやつ”や”いじめっ子”を見返すためだけに、努力してきたつもりだ。
しかし、最近になって、優秀な同級生たちとの「格差」に気づいてしまった。
子どもの頃、僕と同じようにテストで高得点を取っていた彼は、今や医学の道へ。
大学時代できた友人はコツコツ努力し、3年生の夏には就活を終え、最近は僕との距離を取るようになってきた。
「人と比べる必要なんてない」という言葉を盾に自分を守ることもできるけど、
僕はそれを無視することにした。
むしろ、比較してみよう。じっくりと。
結果、僕は空虚さを噛みしめる羽目になった。
高校時代、友達との青春を捨ててまで眺め続けた世界史の単語集。あの時間は一体何だったのだろうか?
卒業式後の打ち上げにも行かず、勉強を優先させた当時の自分にかけてやれる言葉はない。
そして今の僕はと言えば、毎日のように日記をSNSに投稿し、再生回数や「いいね」の数に振り回される生活。
ひとつの投稿がバズれば心は舞い上がり、反応が薄ければ落ち込む。それを繰り返しているだけ。
こんなことばっかりしていては気付かぬ間に彼女にも愛想を尽かされそうだ。
こんな僕の生活が、果たしてどこかに繋がるのだろうか?
何かを手に入れるために、今まで捨ててきた時間、選ばなかった選択肢の数々。
その全てが今の僕を形作っている。
けれども、そんな「自分史」を眺めれば眺めるほど、不安と後悔が胸を締め付ける。
人生を懸けたパズルを作っているつもりが、全てのピースがぐちゃぐちゃに散らばったまま。
果てしない悩みは今日も続く。
けれど、その果てに何かが待っていることを願わずにはいられない。