就活ではブランドとか年収で企業選びしていいのか悩む


はじめに

「お前は、何を軸に企業を選んでるの?」

そう聞かれて、うまく答えられなかった経験がある。
「人間関係の良さ?」「やりがい?」「成長環境?」
面接やESでは、そう答えることもあったけれど、正直に言うと、心の奥で一番気になっていたのは――「年収」だった。

就職活動が本格化した大学3年の春。
就活イベントのたびに「自分らしさ」や「キャリアビジョン」が問われるけれど、自分にはそんなものがないような気がした。
何をやりたいかもわからない。でも、ひとつだけ思っていた。

「お金をたくさん稼げる人になりたい」

「年収」を気にするのはおかしいことなのか?

就活の軸に「年収」を置くこと。
なんとなく、面接で話してはいけないことのような気がしていた。
「どうしてこの会社を志望したんですか?」という定番の問いに、「年収が高いからです」なんて口が裂けても言えなかった。
そんなことを言えば、即落ちるんじゃないか、そういう怖さがあった。

実際、説明会やOB訪問でも、年収の話になると空気が一変する。
企業の人たちは「やりがい」や「成長環境」「社会貢献性」といった“キレイな言葉”を並べてくるけれど、年収については求人票やパンフレットに記載されている数字を軽く触れるだけ。
そこに込められているのは、「お金の話はするなよ」という無言の圧力のようにも感じた。

でも、SNSや掲示板では話が違う。
「○○商事は30歳で年収1,000万円らしい」「△△の外資は残業えぐいけど年収1,200万」「激務でも年収が高ければ勝ち」――そんな情報がタイムラインに溢れかえっていて、まるで企業選びは“年収と労働時間のトレードオフ”で測るものかのようだった。

実際、僕のまわりでも「第一志望は五大商社」とか「外資系コンサルの内定をもらった」と話す人たちの口調には、どこか自信と優越感がにじんでいた。実際、僕も勝手に嫉妬して勝手に落ち込んだ。 

アホか。。。

Twitterの就活垢界隈でも、そんな企業のことを“🐽(三井物産)”“💰🕺(ゴールドマン・サックス)”なんて隠語で呼びながら、「ES通った✌️🐽」とか「💰🕺落ちたけど仕方ねえ」と、情報という名のマウントが日々更新されていく。

隠語が飛び交うこの界隈では、就職活動というより“就活ゲーム”をプレイしているような雰囲気すらあった。

「早期内定=勝ち組」「年収1,000万円企業=レアドロップ」「ES通過=経験値アップ」――そんな自己顕示欲をひけらかす世界の中で、誰かの成功が、誰かの焦りを煽る。

情報収集をしているはずなのに、どんどん自分が薄っぺらく感じていった。

そういう人達と比べて、自分はどうだろう。(比較癖が出ました。今は比較しても意味ないことは認識してますが、たまに出てしまいます。。。)
特に志望業界も決まっていないし、なりたい職業もない。

周囲が“やりたいこと”や“自分らしさ”を語る中で、あえて言うなら「年収が高い」か「ネームバリューがある」企業に入りたい――それが本音だった。
「親を安心させたい」「見返したい人がいる」「世間体を気にしてる」――そんな思いも、少しはあるかもしれない。

けれど、そんな気持ちは誰にも言えなかった。
就活の面談でそんなことを言えば、きっと「動機が不純だ」と言われてしまうと思っていたから。

Twitterでさえ、本音を語ると“意識が低い”とラベリングされる気がして、僕は隠語の海を泳ぎながら、本音を見失っていた。
誰の言葉を信じればいいのかも分からないまま、「何を軸に企業を選べば正解なのか」ばかりを考えていた。

そしてTwitterを消した。就活界隈とおさらばしたかったから。

「ブランド企業」の肩書きがほしかった

「大学名に恥じない就職先に行かないと」と、無意識に自分を追い込んでいたような気がする。
「〇〇株式会社(東証プライム)」「誰もが知る大手」「年収ランキング上位」――そんな言葉に惹かれて、企業の中身よりも“看板”ばかりを気にしていた。

就活サイトを開いては、有名企業のロゴやランキング表を眺め、まるで偏差値表と同じように、就職先を“ランク”で測ろうとしていた自分がいた。
その企業で何をするのか、自分がどう成長できるのかよりも、「人に説明できる肩書きかどうか」が大事だった。
「なんでこの会社にしたの?」と聞かれたときに、「名前を知ってるだろう?」と返せるような、そういう“わかりやすいステータス”を求めていた。

でも、企業説明会に行けば行くほど、どれも「自分が心からやりたいこと」ではないように感じてくる。
パワポ資料と熱のこもったプレゼンの裏側にある、“本当に自分がそこにワクワクできるか”という感情が、どうしても追いついてこなかった。
興味のない業界でも、年収が高いというだけで志望リストに入れてしまって、説明会を聞きながら内心で「本当にここでいいのか?」と何度も問い直していた。

周囲が「この企業で社会課題に向き合いたい」「自分の経験が活かせると思った」と、しっかりとした志望動機を語っているのを見ては、自分がどんどん空っぽに思えてきた。
自己分析も業界研究もやっているつもりなのに、「これだ」と思える企業に出会えないまま、焦りだけが募っていく。
「どうせ働くなら給料が高くて、世間からすごいと思われたい」――その気持ちはずっと消えなかった。
でもそれを言葉にするのは、どこかタブーのような空気があって、ますます自分の就活軸に自信が持てなくなっていった。

自分が心からやりたいことがないからこそ、せめて“見た目”だけでも立派でいたかった。
世間から「さすが慶應だね」と言われたい気持ちと、「実力なんて伴ってないのに」と思う自分との間で、ずっと揺れていた。

年収で選んでもいい。でも「覚悟」は必要だと思った

Digmediaの伊東さんの記事や、noteで読んだ「キラキラ地獄エリート」さんの話を読んで、少し気が楽になった。

「年収で企業を選ぶのは悪いことではない」
「お金を理由に頑張れることはたくさんある」

――そんな言葉に、心がふっと軽くなった気がした。

特に印象に残ったのは、こんな一節。

社会人になれば、社内はボーナスや福利厚生の話で持ちきりだ。
お金は、大事な価値観のひとつだ。

――そうだよな、と思った。
誰だって、「収入が多い方がいい」に決まってる。
それは恥ずかしいことでも、浅ましいことでもない。
実際理不尽な怒られ方をした日や、朝から深夜まで働いた日でも、「あと何日で給料日だ」「来月はボーナスだ」という事実が、ふとした瞬間に気持ちを前向きにしてくれるのだろう。

仕事が辛くても、「今月乗り切れば…」と思えることが、もう少しだけ踏ん張ろうという気持ちにつながる。
そうやってなんとか持ちこたえられるのが、生活を支える“現実的なモチベーション”というやつなんだと思う。

でも一方で、年収だけを軸にして企業に入ると、「仕事の中身に興味が持てない」という壁にぶつかることもある。
いくら高い給料をもらっていても、「毎日やってる業務が退屈で仕方ない」「全然自分が活かせてる気がしない」と感じ始めたら、心が先に疲弊していく。
それは、“お金のために働く”という動機が、長期的にはモチベーションとして弱くなってしまうこともあるからだ。

実際、年収は高くても「激務で心身を壊した」とか、「興味のないことに時間を奪われるのが苦痛だった」という声も、SNSや口コミサイトではたびたび見かける。
「毎月振り込まれる金額はすごいけど、自由に使う気力がもうない」――そんな話もあって、ただ稼げるだけでは人は幸せになれないことを痛感させられる。

つまり、「お金で選ぶ」のは決して悪いことじゃない。
むしろ、最初の就活軸としては十分合理的で、現実的だと思う。
だけど、それだけに頼るのではなく、「そのお金を稼ぐ過程」にも納得できるような覚悟や、“それなりのしんどさ”を受け入れる準備が必要なんだと思う。

お金は確かに大切だ。
でも、それと同じくらい、「どんな毎日を過ごすのか」も大切。
そのことを、就活を通じて少しずつ学んでいった。

「自己決定感」のある選択こそが、心の健康に繋がる

筑波大学の研究(萩原・桜井, 2007)によれば、キャリア選択におけるモチベーションの種類が、精神的な健康と深く関わっているという。

例えば、

  • 「周囲がそうしているから」→ 他者追随(非自己決定)
  • 「安定した地位がほしいから」→ 社会的安定希求(中間的な自己決定)
  • 「自分の成長や達成感のために」→ 自己充足志向(自己決定的)

という分類がされていて、自分の意志で選んだ「自己充足志向」のほうが、心理的な幸福度や精神的な健康にいい影響を与える傾向があるそうだ。

これを読んで、ハッとした。
僕の「年収が高い会社に入りたい」という気持ちは、果たしてどこから来ているのだろう。
周りの友人が商社や外資を目指しているから?
「すごいね」と言われたいから?
「世間体」とか「親を安心させたい」という気持ちが混ざっていたことも否定できない。

だけどその一方で、「自由になりたい」「家族を安心させたい」「昔の自分を見返したい」という、自分の内側から出てきた動機でもあったはずだ。
そう考えると、“お金”という動機ひとつ取っても、「他者追随」なのか「自己充足」なのかは、自分の中でどう消化しているかによって変わってくるのかもしれない。

「年収が高いからその会社を選びたい」
それ自体は、決して浅はかな理由ではない。
むしろ、それを心から望んでいて、そのお金でやりたいことや守りたいものがあるなら、それは立派な“自己充足志向”なのだと思う。

大事なのは、他人の目や空気に流されて「とりあえずこの会社」と決めることではなく、自分なりの言葉で「なぜそれを望むのか」を語れるかどうか。
その言葉を持てたとき、就活は“評価される場”から“自分を選ぶ場”に変わるのかもしれない

「お金も、やりがいも」欲張っていい

だから僕は、こう思うようになった。

年収が高い企業に入りたい。
その気持ちは素直に認める。
「周りにすごいと思われたい」「経済的に安心したい」「選択肢のある人生を歩みたい」――そういった欲は確かにあるし、それを否定する必要はない。
むしろ、それこそが今の自分の“正直な本音”なのだと思う。

でも、それだけじゃなくて――

「どうせ働くなら、やっていて納得できる仕事がしたい」
「自分の頑張りがきちんと認められる環境で働きたい」
「ギスギスした職場より、信頼し合えるチームで働きたい」

そういった価値観も、就活を通して少しずつ自分の中に芽生え、育ってきた。
最初は「年収が全てだ」と思っていたけれど、説明会で社員の雰囲気に惹かれたり、インターンで感じた“人間関係の居心地の良さ”に救われたりして、気づけばお金以外にも大事にしたいことが増えていた。

そして、どちらかを諦める必要なんてないんだとも思った。
「年収とやりがい」、どちらか一方しか選べないという思い込みは、実は誰かに植え付けられた固定観念だったのかもしれない。
自分が納得できる仕事をしながら、しっかり稼ぐ――そんな未来を目指したっていい。

もちろん、現実にはどこかでバランスを取る必要がある。
年収が高ければそのぶん求められる成果も大きいし、やりがいのある仕事でも収入が安定するまでには時間がかかることもある。
それでも、「どうせならこの会社で頑張りたい」と思える場所を見つけたいし、そのために自分がどんな価値観を大事にしたいのか、ちゃんと向き合って選びたいと思っている。

就活は、社会の“合否”を受け取る期間ではなく、自分の“価値観”を試す時間なのかもしれない。
その場しのぎの志望動機や、他人と比べてばかりの自己PRじゃなくて、「今の自分が何を一番大切にしたいか」に正直でありたい。
そうやって選んだ先であれば、きっと多少のギャップや壁があっても、自分の選択に納得して踏ん張れる気がする。

終わりに:過去の自分に言いたい

ブランドで選んでも、年収で選んでもいい。
でも、それが「他人に褒められたいから」ではなく、「自分が納得したいから」だったら、きっと後悔しない。
誰かの“正解”に無理やり合わせる必要なんてない。
自分が大切にしたい軸を、自分の言葉で守っていけばいい。

もし今、就活の軸が決まらなくて不安な人がいるなら、声をかけたい。
年収が第一だって、ブランドが好きだって、それでも全然かまわない。
「浅いと思われるんじゃないか」とか、「やりたいことがないとダメなんじゃないか」とか、そんなことで自分を責めなくていい。

お金が欲しい。
ブランドが欲しい。
安定も、やりがいも、自由も、全部ほしい。
そんな自分を、恥じなくていい。
むしろ、それだけたくさんの願いを持っているというのは、ちゃんと“自分の人生を生きようとしている証拠”なんだと思う。

就活は“綺麗事の勝負”じゃない。
“自分の人生をどう選ぶか”を決めるプロセスだ。
SNSで見かける他人の成功や、選考通過の報告に心がざわつくのは当たり前。
だけど、最終的に歩いていくのは自分の道であって、誰かの人生じゃない。

迷ってもいい。悩んでもいい。回り道しても、立ち止まってもいい。
それでも、自分の「こうありたい」という思いを見失わなければ、いつかちゃんと、自分が納得できる場所にたどり着ける。
そのときに、「あのときの自分の選択、悪くなかったな」と思えたら、それがきっと、就活の“成功”なんだと思う。

だから、どうか焦らないで。
誰かの軸に飲み込まれず、自分なりの就活を、自分のスピードで、進めてください。
応援しています。


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