【徹底考察】映画『ファーストキス 1ST KISS』:変えられない未来と、変えられる「今」

「大丈夫、未来は変えられる。」
映画『ファーストキス 1ST KISS』のキャッチコピーは、まるで「運命を塗り替えられる」かのような希望を感じさせる。
しかし、実際にカンナが過去へとタイムリープを繰り返した末に辿り着いた結末は、駈の死という変えられない未来だった。
それでもこの物語は悲劇ではない。
むしろ、駈とカンナの15年間をより良いものにすることで、悲劇を「愛おしい時間」に変えることができるのだと教えてくれる。
本記事では、『ファーストキス 1ST KISS』が描いた「変えられない運命」と「変えられる関係性」のコントラストに焦点を当てつつ、物語の構造やキャラクターの選択を考察していく。
目次
「未来」は変わるのか?——ブロック宇宙論的なタイムリープ
本作のタイムリープは、従来のSF作品のような「過去を変えることで未来が完全に改変される」ものではない。
カンナが何度過去に戻っても、駈は44歳で駅のホームで死ぬ。そのルールは絶対的であり、「駈の死なない未来」を作ることはできなかった。
この構造は「ブロック宇宙論」とも解釈できる。
ブロック宇宙論では、時間は一本の線として存在し、過去・現在・未来はすべて固定されたものとして扱われる。
カンナが過去に干渉しても、最終的に駈の死は変わらない。
だが、その過程は変えることができる。
カンナのタイムリープは、「未来を変えるための行動」ではなく、「駈と過ごす時間をより良いものにするための行動」へとシフトしていく。
過去に戻るたびに、カンナは駈の性格や小さな癖に気づき、彼が「本当に求めていたもの」を理解するようになる。
そして、駈自身もカンナの存在を意識し、二人の関係は冷めたものから温かいものへと変化していくのだ。
変えられたのは「結末」ではなく「過程」
カンナと駈は、最初の時間軸ではすれ違いが重なり、離婚寸前の状態で駈が亡くなってしまう。
しかし、カンナが過去をやり直すことで、最終的に二人は結婚生活を続けたまま、駈を見送ることになる。
この違いは、「二人の間にあった感情の違い」によるものだ。
最初の時間軸では、駈の死に対してカンナはどこか冷めた態度を取っていた。
離婚届を出す前に亡くなったため、法的には夫婦のままだったものの、彼の死を深く悲しむことはなかった。
しかし、やり直した時間軸では、カンナは駈がいなくなることを心から悲しみ、彼の存在の大きさを噛み締めるようになる。
これは「人生の価値は結果ではなく過程にある」というテーマを象徴している。
駈が死ぬことは変えられなかったが、彼との関係を温かいものにすることで、その死は「愛された人生の終焉」へと変わった。
人生のゴールは誰にでも訪れるが、その過程をどう生きるかが重要なのだというメッセージが、本作には込められている。
夫婦の関係性を象徴するディテール
本作では、カンナと駈の関係性を示すディテールが数多く散りばめられている。
スリッパの位置
1周目の駈のスリッパは玄関の真ん中に脱ぎ捨てられており、夫婦間の気遣いの欠如を表している。しかし、最終周ではきちんと揃えられており、駈の意識が変わったことを示唆している。
靴下の行方
カンナが駈の靴下を履いていたことは、二人の関係の変化を象徴している。関係が破綻していた時は互いの衣類に無関心だったが、やり直した時間軸ではカンナが駈の存在を大切に思うようになった。そのため、彼の靴下を履くことにも意味が生まれている。
柿の種とピーナッツ
カンナは柿の種の柿が好きで、駈はピーナッツが好き。最初の時間軸では、お互いの好みを譲ることなく、相手の欠点ばかりが目に付いていた。しかし、最終的には駈がカンナの好みに合わせて柿の種を食べるようになり、カンナも駈の習慣を尊重するようになる。この変化は、二人が互いに歩み寄るようになったことを象徴している。
なぜ駈は離婚届を出さなかったのか?
駈は離婚届にサインをしていたが、提出する前に亡くなってしまった。
なぜ彼は離婚届を出さずに死んだのか?
一つの可能性として、駈は「本当はカンナと別れたくなかった」のではないかということが挙げられる。
冷めた関係になっていたとしても、彼の中にはまだ「カンナといたい」という未練があったのではないか。
あるいは、離婚届を提出することが現実を突きつける行為になってしまうため、決断を先延ばしにしていたのかもしれない。
また、駈はどこか「時間に対して楽観的な考え方」を持っていた。
恐竜の研究をしていた彼にとって、時間は壮大なスケールで捉えるものだったのかもしれない。
そのため、離婚という小さな変化を急いで受け入れる必要性を感じていなかったのではないか。
まとめ:変えられない未来の先に
『ファーストキス 1ST KISS』は、タイムリープというギミックを用いながらも、「未来を変える」ことではなく、「現在をどう生きるか」というテーマを描いた作品だった。
駈の死は変えられなかったが、彼との関係性は変えられた。その結果、カンナは最初の時間軸では感じなかった「喪失の痛み」を抱えるようになる。しかし、それは決して悲しいことではない。寂しさとは「愛の証明」であり、駈と過ごした日々が幸福だったことの証なのだから。
「未来は変えられる」という言葉は、決して運命を覆せるという意味ではない。それは、「今をより良くすることで、未来に残るものが変わる」ということを示しているのだ。
この映画が伝えたかったのは、人生において最も大切なのは、「どう生きるか」だということ。変えられない運命を前にしても、駈とカンナが選んだ愛の形は、観る者の心に深く刻まれる。